學のほそ道 ~慶應鶏肋録

めし、フロ、慶應通信おかわりと放送大学大学院の日誌。

関東大震災から100年目

関東大震災から100年。
www.asahi.com
しばらく前に書いた読書感想文みたいなものをサルベージしておく。


ノエル・F・ブッシュ『正午二分前 外国人記者の見た関東大震災』(向後英一訳、早川書房)、読了。1967年ハヤカワ文庫版の修正・再編集版。防災の日ということもあって、関東大震災ものを読んでみた。

巻末の佐野眞一(そうか、この解説は佐野眞一だったのか。その彼も物故してしまった)の解説にもあるが、関東大震災をテーマにした作品というのは案外見当たらない。浅学なので吉村昭の『関東大震災』あたりしかパッとアタマに浮かばないのだが。

この本は、アメリカのジャーナリストであるブッシュが関東大震災という大天災を乗り越えた人びとの貴重な証言と残された膨大な資料から、あらためて関東大震災の全容をあらわしたノンフィクションだ。書かれたのは、震災から約40年後。

著者のノエル・F・ブッシュは、ニューヨーク生まれ。プリンストン大学卒業後、1927年から10年間にわたりタイム誌の編集を務めたあと、創刊されたばかりのライフ誌に移り、編集者、記者、執筆者として活躍した。同誌を退いた52年から54年まで日本に滞在した。

ベテランの国際ジャーナリストらしいなと思うのは、その書き出しにある。
1923年8月31日、日本では翌9月1日に、世界では同時的になにが起きていたのか、カメラはゆっくりと地球儀を廻りつつ東京へとフォーカスをはじめる。やがてカメラは東京上空から地上を眺めて、「東京」という都市の成り立ちを説明する。

あたかも東京市の上にのしかかるまっ黒な大ばさみのような形の、中央気象台の塔の大時計の日本の針が、刻一刻と正午に迫っていた。
その時計の両針が重なろうとしていたころ、ときの東京市長永田秀次郎は市庁舎の彼の事務室の、柔らかいクッションをのせた椅子にかけていた。正確にいって11時58分44秒6、この市長室の天井に下がっていた電燈が左右に揺れたときに、永田市長は--あとで思い出したことだが--大声で叫んだ。
「おおっ」と彼はいった。
地震だ!」

関東大震災のニュースが最初に世界に向けて打電されたのは、東京からでも大阪からでもなく、福島県いわきの無電局からである。

本日正午大地震起り、次いで大火災を生じ、全市火の海と化して死傷算なし。輸送機関はすべて破壊され、通信機関は断絶。水も食糧もなし。至急救援を乞う。

著者は、震災を体験したいろんな人たちに生の声を聞いていった。「その日」の彼らの様子が、具体的に活写されている。
なかでも、隅田川近くの下町に住んでいた、池口栄吉という医師の話が生々しい。

それから数分たつと、風は静まり、叫び声も悲鳴もやんだ。そしてこんどは、全く静かになった。あたりを見廻した医師には、急にそうなったわけがわかった。みんな死んでいたのだ。
池口医師は、三人の子供たちと夫人の死体を地上に並べた。そのそばに横になった彼は、自分も死んでしまいたいと思った。
しかし、彼は考え直した。そして、いま自分が死んでしまったら、この家族の死を葬ってやる者がいなくなる、と思った。
(中略)
顔を地べたにつけていたほうが、息をしやすいことを知った彼は、トンネルの中をはいながら、川に面したほうの門に近づいていった。
(中略)
この間に、彼の両手の甲は骨まで焼けてしまった。髪の毛と、頭の天辺の皮膚も、すっかり焼けた。耳は、両方とも焼け落ちてしまった。

この本は市井の人びとの様子だけではなく、この震災がのちの大きな戦争に日本を駆り立てていった補助線となったことをも、炙りだしている。

戦争は、愛国の情熱をかき立て、一つの目標を意識させるが、地震は人々を憂鬱にし、絶望的にし、かつ無気力にする。
(中略)
地震というものは、意識的な歴史の世界であるところの目的的な原因結果の世界の一部を構成するものではない。それは、目がさめると忘れてしまう、あの悪夢に似ているともいえのだ。
しかし実際には、地震は悪夢でもなければ、また単なる統計の積み重ねでもない。それは、全く現実なのであり、しかも多くの人命を左右するものなのである。

ややもすると東日本大震災は「遠い昔のこと」のように思われることがある。そんなときは、外国人による丁寧なこの仕事を思い出したい。まったく色あせていないどころか、忘れることへの戒めと映る。

出願確定

前回から更新の時間がちょっと開いてしまったが、昨日(8/29、一粒万倍日)、何とかインターネット出願を果たした。

インターネット出願といっても、すべての手続きがインターネットで完結するわけではない。例えば学士入学なら大学の卒業証明書や成績証明書を(大学から)取り寄せて、郵送しなければならない。慶應通信の場合には、入学願書(履歴書みたいなもの)も併せて送付する必要がある(きっと通信制大学ならどちらもそうなのではないかしら)。もちろん銓衡料も支払った。

とまれ、本日の慶應通信の出願サイト・マイページでは「出願確定」と表示されていた。その旨の通知メールも事務局から受け取った。2017年に初めて出願したときにはすべて手書きだったことに比べれば、まあ〈長足の進歩〉ではある。2017年のときの出願書類一式はコピィしてあって、引っ張りだして懐かしんだ。

これで来月下旬まで、出願に関してはなにもすることはないはず。
あと1ヶ月、果報は寝て待つとしますか。

出願やり直し?

先週後半はイベントが続き、しかもジェットコースタのような展開だったので、ハイにもなり落ちこみもしてすっかり精神的に疲れてしまった。
今日、慌てて慶應通信出願の手続きを進めるべく、読了した本の書評(になっているかどうかは別として)をインターネット出願フォーマットに記述、そのまま次に進もうかという矢先。

ふと、文学部2類(主に史学専攻)のままでいいのかとアタマに過った。過ったと言ったが、なかなかその疑問がアタマから離れない。先輩がたに聞くと、いったん類(専攻)が決定して入学すると、文学部においては在学中の転類(類を変更すること)はなかなかハードルが高いらしい。わたしは法学部で転類した(できた)経験があるので疑問符がつくのだが、学部が異なれば考え方も異なるのでそういうことなんだろう。

まだ出願の〆切りには時間があるので、アタマを冷やして再考することにする。
〈おかわり〉といってもなかなか難しい。

さて、ようやく映画「君たちはどう生きるか」の映画パンフレットを手に入れたが、このスカスカぶりは何だろうなあ。これで820円、という値段の問題よりも、販売しなかった理由を充足させるような内容ではとてもなかったように感じたのだけれど。

ようやく読了

台風7号は遠くになったはずなのだが、その余波たるや侮れない。300kmも離れた静岡県では竜巻やら大雨が続いていた。お袋からヘルプコールではないが、状況報告のような電話がかかってきていた。
まさか東海道新幹線がこんなに長時間にわたって運休するとは思わなかったなあ。なにが起こるか本当に解らない。明日は我が身。
news.yahoo.co.jp

慶應通信の出願課題本はようやく卒読したという感じ。もう一度論旨等を自分なりに咀嚼して整理しないと、書評は書けない。字数も少ないし。明日から夜の約束も入っていて、週末にならないとまとまった時間はとれないだろう。
あ、放送大学大学院にも出願した。「修士選科生」という科目履修生のアナザバージョン。この話はまた。

地元の高校は追いすがる相手を土壇場で振り切って3回戦進出。お目出度うございます。

仕事再開

今日から仕事再開。ボスたちはお盆のあいだお休みなので、ひとり開店。
メールが溜まっていることったら。
それらを片づけていくのに半日以上、そこに待ってましたとばかりに問い合わせがつづいて(ついでに夏休みどうだった? の雑談チャットが割り込んでくる)、ホッと一息ついたのは夕方前。
気がつけば高校野球2回戦で地元の高校はサヨナラ負けを喫していた。

仕事が落ち着いた頃に、SNSハンナ・アーレントの『人間の条件』を読む会に誘われ、ふと一昨年に受けた夜間スクーリング「原書講読」での、ジュディス・バトラーハンナ・アーレント批判論文(英文)のことを思い出した。
アーレントの原文もクセがあるが、ジュディス・バトラーのもそれにも難儀した覚えがある。そして肝腎の中味などとうに忘れている。時間をかけた割には成績はよくなかったな。自分には向いていないんだろうとぼんやり考えていた。もう卒業単位には関係のない「自由履修」だったから大してダメージもなかったけど。

で、ハンナ・アーレント
けっきょく参加することにした。たまたま『人間の条件』の新訳もでていたし、その訳者によるハンナ・アーレント入門本をKindleで買っていたこともある。開催日が空いていたというのもある。これもご縁だろう。

夕方買い物にでかけ、汗びっしょりになって帰宅、シャワーをざっと浴びて、家人が帰ってくるまで慶應通信の書評本を読んでいた。晩メシを食べ、本格的に風呂に入って、家族が寝た後もこうして読んでいる。
日本の歴史なんぞまともにやってこなかった自分にはクラクラする内容だ。でも、本を閉じたら寝付きはきっと早いと思う。

出願準備 #3

今日で今年のわたしの夏休みは最終日。このあともチョコチョコ年休取得予定はあるものの、長い休みは年末年始まではない。
明日からに備えて今日はもともと何も予定を入れていなかった。

しかし、出願準備は進めておいた方がいいわけで、「志望理由書登録」のうち、「2.自分の学びたい学問領域に関わる書籍を一冊選び、概要を簡単にまとめた上で、自分の視点から詳しく論評しなさい」というお題の対策を進める。
とにかく書籍を選んで読まなければならない。
この書籍の選択がちと厄介だ。どういうレベルやジャンルのものを選べばいいのか。奇を衒ってリスクを背負い込むのは避けるべきだし(たとえば漫画とか、池上何某のとか*1)、かといって安易な本(ビジネス本とかね)に逃げても足元を見られるだけだ。

仮の話で恐縮だが、わたしが文学部Ⅰ類(哲学・思想系)に出願するのだったら、たとえばこんな本を選んでみたかもしれない。

いずれもわたしの本棚に刺さっているものをざっと眺めてみたところである(最後の本はポピュラーすぎかな)。今回は文Ⅰには出願しないので、上記のセレクトは流れてしまったけれど。
ちなみに、2017年に出願したときには、憲法関連の新書について書評を書いた(当時は法学部に出願したので)。ちょうど故安倍元首相が憲法改正を声高に主張していたころではある。

というわけで、午後、書評用の本を読んでいた。
いや正確にはもうセレクトしてとっくに読み終わっているのだが、先日の茅ヶ崎美術館からの帰り道に立ち寄った茅ヶ崎駅前の長谷川書店(この書店はほんとうにいい書店だと思う)で面白い本を見つけてしまったので、目下はそちらを読み進めているところ。
今日中に終わるかなと思ったが、子どもたちの夏休みの宿題中間チェックのために時間をとられた。来週中にはインターネット出願をすべて終わらせたいなあ。>

ゲリラ豪雨のなか、慶應の日吉キャンパス近くを通りかかった

*1:もちろんこういった類の書籍で合格されたのならそれについてとやかく言うことはありません。

出願準備 #2

昼前から外出する予定があるので、朝のうちに出願準備を進める(ちなみにわたしは「正科生」として出願予定)。
「志望理由書登録」のうち、
「1.志望した学部・類で何を学ぼうとしているのか具体的に述べなさい。」というお題についてドラフト作成した。このお題には、「①過去の学習経験、②将来の展望のいずれにも触れること」とある。
ここでは、具体的に、というところにも注意して作文しておきたい。
30分ほどで文字数ギリギリで草稿完成することができたので一時保存をしておく。

武蔵小杉で、娘との用事を済ませて午後早めに帰宅。
やはり疲れているようで、そのまま午睡をとる。気がついたら夕方になっていて、TVをつけて高校野球をぼんやりと観続けた。別にどこが勝とうが負けようが興味はさほどない。実家のあるところと、縁(ゆかり)のある慶応高校(塾高)が勝ち進んでくれればいいかなというくらい。

明日はわたしの夏休みの最終日。明後日は会社だが、ボスたちも不在なのでほぼ開店休業状態であろう。
子どもたちの夏休みの宿題について、明日中間チェックをする。またしても親子ゲンカが勃発しそうな気配。これで通信教育課程なんぞ履修できるのかと、いつも不安になる。