學のほそ道 ~慶應鶏肋録

めし、フロ、慶應通信おかわりと放送大学大学院の日誌。

「イギリス風景画と国木田独歩」展

本日8/11は「山の日」。祝日なので、出願準備作業は小休止。
なれど向かった先は海のほう。茅ヶ崎美術館へ。
「イギリス風景画と国木田独歩」展を目的に。一昨日に、東所沢の角川武蔵野ミュージアムに行ったことに連想して、要するに〈武蔵野〉つながりだ。

www.chigasaki-museum.jp

なぜ〈武蔵野の人〉である独歩*1茅ヶ崎と縁があるかというと、彼が晩年に結核に冒されて、茅ヶ崎結核療養所である南湖院で療養生活を過ごしたことによる。
彼の最期は、劇作家・小説家である真山青果によって「病床録」として読売新聞に連載された(しかしなぜ真山青果なのか)*2田山花袋の『東京の三十年』には、年来の親友として「独歩の死」が書かれている。

さて、独歩に影響を与えたとされる、イギリスのロマン派詩人ウィリアム・ワーズワースの時代(1770~1850年)は、イギリスでも〈風景〉にたいする意識が高まっていた時代。イギリスはすでに産業革命も市民革命も経験している。
日本も三宅克己や鹿子木孟郎らによって、日常の何気ない風景画が描かれていった(それは「道路山水」という構図によって表現されたりした)。不勉強で申し訳ないのだが、これは後年の志賀重昂『日本風景論』となにか繋がりがあるんだろうか。

武蔵野を散歩する人は、道に迷うことを苦にしてはならない。どの路でも足の向くほうへゆけばかならずそこに見るべく、聞くべく、感ずべき獲物がある。武蔵野の美はただその縦横に通ずる数千条の路を当てもなく歩くことによって始めて獲られる。

*1:独歩が住んでいたのは渋谷区公会堂あたりという。

*2:こちらは全集に収録されている。

出願準備 #1

本日8/10より、2023年度の慶應通信秋入学(77期)の出願受付がはじまる。
今日は家族とともに朝から終日外出していたので、帰宅してから「インターネット出願」をしはじめた。

まずは「志願者登録」。オノレの姓名含めての個人情報等を登録していく。
つづいては「出願先登録」。要するに、自分はどの学部学科を志望するのかという情報を登録する。確定登録しちゃうと以後は「変更不可」ということなので、念のためここで〈一時保存〉しておく。
まだ準備することはいろいろとある。この休みの間に粗方片づけてしまいたい。

今日は、息子とともに日がな一日プールで泳いでいた(遊んでいた)。だいぶ日焼けもした(台風からの千切れ雲が多く陽射しが遮られていたように見えたのだが)。
夏休み後半戦、ぼちぼちリフレッシュできている気がする。少なくとも昨夏のようなアホなスケジューリングで徒死にした休暇でないことは確かだ。
台風が来ない間に明日はどこへ行こうか。

學のほそ道へ

いくつかやり残したことがあり、また慶應通信(慶應義塾大学通信教育課程)に挑戦しようかと考えている。
www.tsushin.keio.ac.jp

現時点では家族にまだ何も伝えていない。
仕事は春(23年4月)に転属していまはだいぶ落ち着いているが、いつまた忙しくなるかは解らない。今年度中一になった娘についてもご多分に漏れず難しい年頃で、父娘バトルは日々絶えることはない。息子にしても人間関係は良好のようだが、そろそろ受験のことを考えていかなければならない。家人に至ってはわたしと同じく新居の借金を背負っている身で懐には余裕がない。
〈ないない尽くし〉で、「大」がつくほど反対されそうな気がする。

出願して不合格になればそれはもうご縁がなかったことになるのでスッキリするが、問題は合格した場合である(まるで合格するのが邪魔くさいような書きぶりではある)。「また夏休みがなくなるの?」と子どもたちからは責め立てられそうな気もするが、そろそろ彼らも両親とは行動を一緒にすることが恥ずかしいと思うお年ごろなのではないかと勝手に想像する。
家人には、「(わたしは)そういう人間だ」と改めて理解してもらうしかない。

明日8/10(木)、2023年度10月(77期秋期)入学出願の手続きがはじまる。